平均台を降りるのが怖いなら

こんにちは、ふぃぐたんです😃

 

今朝の子供の発言です↓

『ママ、何で楽しくない勉強毎日しなきゃいけないの?』

『ママ見て見て!今から宿題破って捨てまーす‼︎ 』

『学校面倒臭いから、今日は学校休んでとしまえん行こうぜ!』

『毎日お仕事大変だから働き方改革で、会社辞めておいで!』

 

何とも自由な発言…(笑)

音丸出しです。

 

 

今朝は子供の登校渋りが酷かったのですが、給食のメニューがたまたま好物のものだった様で、急に気分が変わったのか登校してくれました。もはやいつ不登校になるか分かりません。私も朝から気分が乗らず仮病を使って会社をお休みしました❗️

そんな日もありますよね。

 

 

私は、最近まで、『常識』とか『普通であること』を意識し過ぎていたように思います。

普通という平均台から落ちない様に、周りの目を気にしながら、おそるおそる本音を隠しながら異常なまでの忍耐を武器に自分に鞭打って生きてきた様な感じでした。

中身はかなりぶっ飛んでるのに、「常識的な人」の仮面を付けてニコニコしていました。

普通という平均台から落ちてしまったら、どうなってしまうんだろう…。という漠然とした不安が常にあったんです。

 

そこで、1年前位から以下の例の様な『自分の中で、タブーだと思っている事をやってみようキャンペーン』をひっそりと続けています。

 

●ど派手な色と柄の服で出勤してみる。(私は現在お堅い金融機関で働いています…)

 

●仕事中にいきなりケーキを食べる

 

●鼻血が出ました等びっくりする様な理由で会社を休んでみる。

 

●会社の研修などで、意見を聞かれた際に、『分かりませ〜ん』とあっけらかんと答える。(本当に意見が出てこない時に無理して、意見を絞り出さない)

 

●朝まで飲んだくれる

 

●公園で子供達に混じって、子供以上にはしゃいで遊ぶ

 

 

他にも色々とあります。

こういった、自分の中でタブーだと思っていたことをやってみることで、次第に『羞恥心』というものが薄れていきました。自分が今まで、『常識』だとか『普通』だと思っていたことは、ただの幻想でしかないという事が徐々に分かって来たんだと思います。

 

これからは、『自由』ではなく少しぶっ飛んだ『自由すぎる』位で良いのかなぁと思います。

仕事も日々の生活も『遊んでいる感覚』に持っていけたら良いなと思っています。

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自由の女神アメリカから抜け出して我が家でほっかむってます🇺🇸

 

子供達の未来

こんにちは、ふぃぐたんです🎵

今日は34回目の誕生日🌱  

息子が昨日から黙々と何やら制作してして、出来上がったものがこれ。

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「コースター」かな? 私への誕生日プレゼント

だそうです😊   息子は、いつも本当に優しい…😭✨   誕生日以外でも、しょっちゅう手紙を書いてくれます。

 

息子は、発達障害グレーゾーンです。

ADSとADHDの特性が少しずつMIXされています。そして、更にHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)でもあります。発達障害グレーゾーンとHSCのハイブリット型の子は結構多いと思います。逆にADSの特性だけとか、ADHDの特性だけという単純なグレーゾーンの子は少ないです。

 

おそらく、集団生活は息子にとって、しんどい部分も沢山あると思います。息子の様な子供達は少数派ですから、教育現場では、グレーゾーン やHSCの子供達に対して、少しでも多くの定型発達の子達に近付けようとする、『ボトムアップ式』アプローチが採用されます。

発達の特性があって苦手なところを、少しでも平均値や「ふつう」に近付けようとする方法です。  発達を促進し、能力を底上げしようとする方法です。この、ボトムアップ式アプローチでは、苦手なことの練習を重点的に行うので、どうしても「出来ないこと」に意識が向いてしまい、子供達の自己肯定感が削がれてしまいます。

これに対して、『トップダウン式』アプローチがありますが、こちらは特性があって苦手なところについて、それを補完する手段を考えるという方法です。現状を把握して、その中でできること・できないことを検討するアプローチです。

私も最初は、『ボトムアップ式』でアプローチしていましたが、やはり発達の特性は一種のスタイルのようなもので、努力や練習だけで底上げできるものではないと感じます。ボトムアップ式に限界を感じ、今は『トップダウン式』アプローチも取り入れる様になりました。

息子は書くことが苦手なので、出来るだけ書くストレスを減らす為に、iPhoneiPadなどの学習アプリを活用しています。

 

毎月、小学校で公開授業があるので参加するのですが、やはり「集団化」と「個別」の配慮の両立は難しいなと感じます。

最近では、クラス決めを4月ではなく、5月や6月に行う学校もあるようです。初めに子供達ひとりひとりの特性を評価して、それから評価に即して集団のプログラムを作っていくという事でしょうか。理想的なのは、子供達ひとりひとりの個性に応じたオーダーメイドの教育プランを用意することですよね。

 

子供達の未来の芽を摘んでしまわない様、グレーゾーンやHSCの子供達の理解が社会全体に広まって欲しいなと思います。

 

うちの息子は、最初ADSの特性があると言われましたが、いや、ADHDの特性もちょっとあるかも…と複合型なるものがあるということに最近気付きました。大人でも結構な割合でいると思います、この複合型。生き辛さを抱えながらも周りの環境に過剰適応して疲れてしまうという方。

↓そんな方に一度読んで欲しい本です

 

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戦わずして勝つ

こんにちは、ふぃぐたんです😃✨

 

始動

何だかですね、何かが始まる予感がしています。こう感じるのは私だけ?皆さんはどうなのでしょう⁇  

何となくですが、今人生の大きな分岐点に立たされている方が多いのかもしれません。

私自身今まさしく、人生の大きな分岐点に立たされていると強く感じています。

少し前に、『大きな波が来る』という様なインスピレーションを良く受け取っていたのですが、ここ最近は、もはや自分の意思に関係なく大きな波に飲み込まれ、行くべき場所に流されているんだろうなと感じています。「じたばたしてもしょうがない、なるようになるさ」と半ば諦めにも似た心境です。流された先で、新しい第2の人生が始まると思っています。

 

最近『逃げろ』という言葉をよく受け取ります。これは、裏を返せば『戦わずして勝て』という事なんだろうと思います。

私は、結婚後主人からのモラハラに苦しみました。受け入れがたい事実でした。子供を2人も抱えて離婚など出来ない、このままモラハラ対処を続けて、このモラハラに耐えながら人生を終えるしかないのか…と絶望感でいっぱいになることもありました。しかし、人生は一度きりです。私は自分の可能性を信じてみようかと思います。破壊無くして創造はありません。

 

『愛と恐れどちらを選ぶのか?』という究極の選択を前に突きつけられているのだと思います。まるで命綱無しのバンジーを飛べと言われている様です。先の見えない不安に足がすくみますが、思い切って飛んでしまおうと思います。自分の力を信じたいと思います。

 

加害者と被害者の関係は表裏一体です。 被害者が被害者の立場を降りない限り、加害者は加害者のままで、いつまでたっても戦いを終わらせることは出来ません。

 

皆さんも、同じ様な苦しい状況に置かれている方もいらっしゃるかもしれませんが、

『耐える』とか『戦う』のではなく、『逃げる』が今の時代の流れに沿っていると思われます。

 

数年前にドラマが流行りましたが、『逃げるは恥だが役に立つ』です👍

 

キュレーション能力

こんにちは、ふぃぐたんです😊✨

 

最近、『加工』、『逃げる』、『プライベートの切り売り』という言葉が私の中でグルグルと巡っていて、まだよく府に落とせてない部分もあるのですが、今日は一つ目の『加工』をテーマにして書いてみようかと思います。

 

『加工』という言葉の意味を色々と探っていく中で『キュレーション(情報加工)』という言葉に行き着きました。これだ❗️とピンときたので以下キュレーションについて話を展開していきたいと思います。

 

まずキュレーションとは、あるコンセプトのもとに情報を収集し、収集した情報を分析し、整理するとこで新しい価値を生み出すことだそうです。新しい価値を生み出すという意味では『創造』と共通していますが、0から1を産み出す創造と違って、既存の物から新しい価値を生み出すという点で異なります。

 

私は調べごとをする際に良く「NEVERまとめ」を参考にしますが、これはまさしくあるテーマ対象を絞って関連する情報を集めたサイトということで分かりやすいキュレーションサービスの例です。ひとつひとつ点在している情報をある程度の塊にすることで、関心や共感が生まれやすくなり、点在していたとき以上の魅力を放ちます。このキュレーション能力が高い人が作成したNEVERまとめなどは、ある意味芸術作品を見ているかのような気分にさせられます。

 

キュレーション能力は、以下の3つの要素で構成されています。

 

①情報感度

➡︎広い視点から幅広い事柄に関心を持ち、新しい価値を見出す力

 

②情報収集力

➡︎目的の達成に必要な質を理解して、情報を集める能力

 

③情報分析力

➡︎細切れの情報を基に、背景や相関関係を見極める力

 

 以上の3つの要素のバランスが良く、かつ其々レベルの高い人がキュレーション能力に優れた人だと言えます。所謂『目利き』であるということですね。

例えば、自分が「良いな」と思ったアーティストがその後ブレイクするとか、友達などから「あなたの教えてくれた情報は役に立つ」とよく言われる人はこのキュレーション能力が非常に高いのだと思います。

そして、キュレーション能力の大事なところで、『本質を見極める力』も絶対に欠かせないと思います。キュレーションする際には、無駄な部分をそぎ落とす作業が必要となりますが、大事な核となる本質の部分まで削ってしまっては、伝えたいことが伝わらず意味がありません。

 

おそらく、これからの新しい時代において、このキュレーション能力が高い人は非常に重宝されるのではないかと思います。

 

私は、数年前からカウンセリングの勉強を独学で続けているのですが、何度か現役のカウンセラーさんが開催する勉強会に参加したりして、カウンセリングの技術や心理学のあれこれを学ばせて貰いました。それはそれで、とても為になったのですが、何だか小手先ばかりのテクニックを武器にこれからの時代この人達は生き残っていけるのか?とふと疑問に思うこともありました。

カウンセラーは、心理学の知識や、カウンセリングの技術をインプットして向上させることよりも、上に挙げた様なキュレーション能力を高めていくことの方がよっぽど重要ではないかと感じます。

相手から受け取った情報から余計な部分を削ぎ落として、必要な部分を肉付けして(キュレーション)、『生きる知恵』に変換して返すということです。もちろん、相手に返す生きる知恵は、これまでのピラミッド型の古い価値観を脱したものです。

 

 

私自身、長い事鬱の症状に苦しみましたが、

何かに悩んだり、行き詰まったりするということは『自分の持っている視点(フィルター)では、道や答えを見つけられなくなっている状態』であるということです。

物事を見る時の『視点の少なさ』が悩みを生む原因だと今となっては思うのです。なのでそこから抜け出すためには、『新しい視点』をどんどん手に入れていく必要がある。新しい視点を手に入れることで悩みから抜け出せるようになるし、人生における自由度も増します。

 

カウンセラーというのは、悩みひとつひとつをしらみつぶしの様に解決してあげるのが仕事なのではなく、むしろ悩みなんて別に解決しなくて良いと思います。解決してあげると逆に依存されて共倒れしそうで怖いです。その代わりに『新しい視点』を沢山提供してあげて相手の人生のステージそのものを底上げしてあげれば、悩みそれ自体が消えて、何度も何度も同じ様なことで悩まなくなります。

 

 

今回この『キュレーション』という言葉に辿り着けたことに何だか感動しています😭✨

おそらくキュレーションの魅力に触れた時、『何だか慣れ親しんだ感じ、でも古臭くない、それでもって新しい✨』という感覚になるのだと思います😊  

私も、今後キュレーション能力を高めていきたいなと思います。

 

名前の力

こんにちは、ふぃぐたんです😊

 

私は、小さな事ですが子育てにおいて意識して気を付けている事があります。

上の子を呼ぶときに極力「お兄ちゃん」と呼ばず、名前で呼ぶようにしています。

 

周りの親御さんを見ていると、たまに上の子供さんを名前ではなく、「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」と呼んでいる方がいます。決して名前で呼んであげないんです。

 

私自身、三人姉妹の長女だったのですが、

小さい頃から、親から名前ではなく「お姉ちゃん」と呼ばれる度に、何だか分かりませんがモヤモヤっとしたものを感じていました。

「お姉ちゃん」という言葉の裏に親のエゴがチラチラと見え隠れしていました。

 

「私お姉ちゃんだけど、全然しっかりしてないし、責任感のカケラもないし、妹達を守る強さもないよ…自分の事でいっぱいいっぱいだし…」といつも本心では思っていました。

この何とも言えない葛藤は長子の方なら分かって頂けますかね?(笑)

 

親から求められる「お姉ちゃん」としての役割(都合良く作られた)を意識すればするほど、本来のありのままの姿の私がどんどん抑圧されていくのを感じていました。

 

自らが親の立場になった今、上の子を「お兄ちゃん」と呼ぶことにかなり抵抗があります。

子供に対して「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ぶことに少しの抵抗も無いという方は、おそらくかなり鈍感でエゴが強い方だと思います💦

名前ではなく敢えて意図して「お兄ちゃん」と呼ぶということは、「本来のあなたの姿なんて見てあげないよ、受け入れてあげないよ」という暗黙のメッセージを子供に浴びせているということです😭  「お兄ちゃん」というなんて事ない言葉が込める思い一つで一瞬にして凶器に変わるんです。繊細な子は、その暗黙のメッセージを鋭く見抜き傷付きます。子供だからといってごまかしは効かないんですよ。

 

 

私の名前は「知世(ともよ)」というのですが、長いこと自分の名前が何故か好きになれず、感覚的にしっくりきませんでした。それだけ本来の自分を抑圧していたって事だと今では思っています。

 

しかし先日、上の子が冗談半分で私に向かって不意打ちで「ともよ〜」と名前で呼んできたのですが、その瞬間何とも言えないハッと目が覚めるような感覚があり自分でも驚きました。子供が愛情を込めて私の名前を呼んでくれたことがすごく伝わってきました。

 

何となくですが、愛情を込めて自分の名前を呼んであげることで、内側からグワッとエネルギーが湧いてくる気がします。

 

一度鏡の前に立って自分の名前を愛情込めて呼んでみて下さい。(他人に見られたら相当恥ずかしいですが💦)閉じたハートがノックされている様な不思議感覚になると思います✨

 

 

未来への種まき

こんにちは、ふぃぐたんです😊🎵

 

私は、誰かとの会話の中で気になった言葉とか、心に響いた曲の歌詞のフレーズとか、よく目につくマークや図形や言葉、印象的だった夢などを殴り書きで汚いですが、忘れない様にその都度ノートに書き出しています。

そして後からノートを見返してあれこれ自分なりに「これは、こういう意味かな?」と謎解きをするんです。

その他、本などで学んだことを自分なりに要約してまとめたりもしています。今4冊目です。

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よく覚えてないですが、2年前位から始めていたと思います。 今どきノートに手書きで記すなんてアナログ人間だなぁと自分でも思いますが(笑) 思ったことや感じたことを文字におとして紙に書き出すことでより潜在意識の深いところまで落とし込めるような気がしています。

 

面白いのが、後からノートを見返して、前に何となく心に響いて殴り書きした言葉から今の自分に対するヒントを得たりすることがあるんです。  

ユーミンの曲で「やさしさに包まれたなら」という曲がありますが、この曲の中に『目に映る全てのことはメッセージ』という歌詞があります。私は本当にその通りだと思っていて、自分を取り巻く事象は全て自分に対するメッセージだと思って、ひとつひとつのメッセージを取り零さない様にノートに書き出して紡いでいます。メッセージのひとつひとつは何の意味も持たない突拍子もない様なものもありますが、いつかひとつひとつのメッセージ(点)が他の点と結び付いて、線になって、最終的に一枚の絵が完成するんだろうなと思っていて、今からどんな絵になるのか楽しみにしています。 

 

私はこのノートに書き出す習慣を『未来への種まき』だと感じていて、今後も続けていこうと思っています😊

『すみません』という口癖

こんにちは、ふぃぐたんです😊✨

 

皆さん、一日で一番口にすることが多い言葉は何ですか?  

私は働いていますが、職場で周りの同僚達を観察していて気付いた事があります。

皆一様にこの言葉を一日に何度も口にしています。

 

 

すみません』という言葉です。

 

エレベーターを降りる際に一言、「すみません」

 

電話を掛けた際の第一声が何故か、「すみません」

 

給湯室の通路で他人とすれ違いざま、ぶつかってもいないのに、「すみません」

 

自分宛のFAXや届いた書類を他人から受け取る際に、「すみません」

 

職場にいて、皆この『すみません』をあまりにも気軽に使っている事に気がつきました…。

上記の例は、どれも別に謝る必要がない場面ばかりです。

 

上記の様な別に悪い行為をした訳でもないのに不意に口から出てしまった『すみません』という言葉、突き詰めると『(私という価値の無い人間が生きていて、存在していて、すみません』という事だと思っています。表層意識では気付いていないかもしれませんが…。

皆、自分が存在していること、生きている事にに対して何故か罪悪感を持っています。

私自身も自分が存在することに対する謎の罪悪感に長いこと苦しんできたと思います。

 

生まれたばかりの赤ちゃんは、誰一人として罪悪感なんて持っていませんから、やはり生きていく過程で親や教師など他人から徐々に罪悪感を植え付けられていくんだと思います。 

 

私の上の子供は今小学校一年生ですが、保育園時代から知っている子でもう既に先生にこの罪悪感を植え付けられてしまっている子が数人いるなと思っています。やはり小学校以降は、自分の知能や運動能力が残酷なことに点数化されてしまいますからね…。どうしても他人と比較して自分の価値を測ることが癖になってしまいます。

保育園の時には、キラキラした目をして無邪気に話し掛けてくれていた子が、今では死んだ魚の様な目をしていて、こちらから話し掛けてもばつが悪そうにモゾモゾとしていて、こわばった表情でこちらを見つめます。

 

私の子供も、やはり自信なさそうに

「僕頭悪いから…」などとたまに口にしたりしています。親はその都度、その自虐を否定してあげて、何故罪悪感を抱いてしまうのかのカラクリを説いてあげて、子供が罪悪感を潜在意識に刻み込んでしまわない様にフォローしてあげることがとても大事だと思います。

何よりも親や教師自身が存在することの罪悪感から解放される事が大事だと思うのですが、長年こびりついた罪悪感を剥がしていくのは並大抵の事ではないと思っています。

 

 

上述した『すみません』の口癖についても、『他人に対して迷惑を掛けてしまった時にはもちろん誠心誠意『すみませんでした』と謝るのは当然ですが、何も悪くないのに『すみません』と言うのはどう考えてもおかしいですし、違和感があります。

私は意識して、『すみません』を『ありがとう』など別の言葉に変換するよう心掛けています。相手も『すみません』より『ありがとう』と返してもらった方が心地よいと思いますしね。